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●プロローグ

●高山病について

●ペルー
クスコ
マチュピチュ
マチュピチュ1
サクサイワマン
ケンコー
ケンコー1
リマ

・・・アルゼンチンへ・・・

●エピローグ


●マチュピチュ '04年12月26日(日)

朝4:00過ぎに起床。あえてシャワーを浴びずに寝たので、先にバスルームへ向かう。髪を乾かし、洋服を着て準備万端に近くなっても、朝強いはずのだんながベッドから起き上がらない。マチュピチュはここより標高が低いよと励ますと、モソモソと起きてきた。5:00頃、レストランを開けてもらい朝食をとる。綺麗にカットされたスイカやメロン、マンゴーなどの果物がおいしそう。卵はスクランブルエッグを頼み(だんなはキャンセル)、名物コカ茶を飲む。コカの葉は、コカインの原料である。でも、煎じて飲む分には問題ないのだろう。もちろん、コカの葉を他国に持ち出せば犯罪になるけどね。高山病にも効くと言われているが、昨日飲んだはずのだんなには効かなかった。

おいしい朝食の後、5:30にお迎えが来た。駅まで送ってもらい、ガイドさんと少しお話ししてから電車に乗り込んだ。指定席の番号を見ると、なんと離れ離れの席だった。なんでーっと思いつつ一応チケット通りに座る。他のカップルも皆そうなっていたようで、係員にクレームをつけている人もいたが、「満席だから」とのツレない返事が返ってきていた。結局、乗客同士で相談しあい、私たちも隣同士に座ることができた。電車は予定通り6:00に出発。座席の件を除けば、旅行者専用電車はとても快適だった。ちなみに現在、地元の人が乗る電車にツーリストが乗車することはできない。選択の余地はないのだった。

私たちが乗った電車は右側 車窓から村々を近くに見ることができる 山にへばりつくように家が建つ
スイッチバックを繰り返しつつ、電車は山を登っていく。車窓からはクスコの町並みが綺麗に見え始めた。反対側は山に建つ家々を近くに見ることができる。急な階段を、色鮮やかな風呂敷に包んだ大きな荷物を背負って登っていくオバサンや、暇そうな目で電車を見送る犬、崩れそうな建物が見える。地震が来たら即ペチャンコになるような建物の中に、とにかく人々が住んでいることを知る。また上手いことに、「コンドルが飛んでいく」がバックミュージックに流れ出した(笑)。しかし。このアンデス民謡が今見ている景色になんと合うことか!本当に感動して泣きそうになったよ。
      
屋根の上にあるものは魔除けか? 遠く6000メートル級の山を望む 花売りのおばさん
程なくガイドさんがやってきて、標高6270メートルのサルカンタイ山が見えると教えてくれた。そして、マチュピチュまでの簡単な地図と、そこへの行き方や注意事項が記された紙を渡された。ガイドさんは何故か途中下車するとのこと。マチュピチュで会いましょうと言ってポロイ駅で降りていってしまった。その後も、様々な村を列車は駆け抜けていくのだが、その風景がとても面白い。この電車を見ることが一つの楽しみになっているのか、家のドアの側に立って手を振る親子もいる。線路近くにできた水溜りで水浴びをしていたアヒルたちが慌てて坂道を駆け登っていく姿や、草原の真ん中で牛の乳搾りをしている子供たちが見えたり。線路内を歩いている人もいて、その度に電車が警笛をけたたましく鳴らす。その姿はガイドブックに載っている、あのアンデスの民族衣装を着ているのだ。これって普段着なのねえ。この様に、車窓からの眺めが楽しくて仕方がない(笑)。日曜なので市を開いている村もあったのだが、慌ててカメラを向けてる間に通り過ぎてしまった。

さて、終点に着くと、今度はバスに乗換えだ。ピンカーブの急な坂道を登ると、まるで中国の山水画の様な、先端が丸い細長い山々が見えてくる。20分くらいバスに揺られた後、ようやくマチュピチュ入り口に到着した。後からやって来たガイドさんの点呼を受けて、いよいよ入場だ。
こんな急なところに・・・ 入り口の門 複雑な形の日時計

入り口を通り過ぎると、急な階段をかなり登るようになっている。クスコより低いとはいえ、標高2400メートルである。グループの中には、途中でゼエゼエと息をしながら休むオバサンの姿も見られた。登り切ったところで、やっと写真で見るようなマチュピチュの風景が見えてきた。この景色をバックに、皆で代わる代わる写真を撮る。もっと良い場所があると言われ、ガイドに連れて来られた場所から見た景色が、トップの写真である。そこで、マチュピチュについての説明を座りながら一通り受けた。スペインによって首都クスコを制圧されたインカの人々は、もう一つの都ビルカバンバに逃げ込み、起死回生のチャンスをねらったのだが、結局は戦いに負けて滅亡してしまったとのこと。マチュピチュは、実はこの幻の都ビルカバンバを探していたアメリカ人の青年によって、1911年に発見されたもの。スペイン人による破壊を受けていないところから、要塞というよりも宗教的な意味合いが濃い都市だったのではないかと考えられているそうだ。

さて。インカ道を降りて、いざ遺跡の中へ。入り口部分には昔、木のゲートがあり、両側の穴にある棒を回して開閉できるようになっていたそうだ。順に様々な説明を受けながら、頂上にある日時計(インティワナ)のところへ。石側面の傾斜には夫々意味があり、また、ある時期(冬至?夏至?春分の日?忘れちゃった・・・)の日の出の時、一番上の突起物によってできる影がちょうど落ちる場所に、平たい石が埋め込まれているところから、そこの石に座って何やら儀式が行われていたのではないかと推測されている。

人馴れしたリャマくん コンドルの頭部分 羽を広げているように見えますか?

その他にも、2つの巨石を羽に見立てたコンドルの神殿やら、水を張り水鏡にして天体観測をしていたという、地面に作られた二つの石皿やら、品種改良のための農業試験所があったとも考えられている、おびたただしい数の段々畑など、とにかく凝りに凝っている。その中で私が一番見たかったのは、太陽の神殿近くにある泉から下の方まで続く水路であった。最早使う人のいない現在も、水路は淡々とその役割を果たしているのである。ガイドは「水は、下にある川まで流れるようになっています。そして、また空に舞い上がり、雨となって泉に帰ってくるのです。」という言葉で説明を終えた。そして確かに、雨が降ってきたのだった(苦笑)。

見たかった水路は 下の方までチョロチョロと 太陽の神殿

天気が変わりやすいとは聞いていたが、本当に曇って晴れて雨が降った。だんなはレインコート、私はなんとスキーウェアの上着を着ていったのだが、とても役に立った。見学を終え、外のカフェで電車で配られた時に食べ残したパンと、ドイツから持ってきたカップラーメンを、少しぬるくなってしまったお湯をかけて食べた。だんなは物持ちで、旅行用の湯沸し器やポット、カップやカトラリーを一揃い持っている。パン食ばかりだったので、カップラーメンは殊の外おいしかった(笑)。

  











































































































































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