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●プロローグ

●白川郷

●金沢最終日
・大野からくり記念館
・銭屋五兵衛記念館
・金沢百番街

●金沢1日目へ
●金沢2日目へ

●エピローグ

   
●白川郷 '05年9月18日(日)

ネットで予約した白川郷への往復バスチケットを、初日に北陸鉄道の長距離バスカウンターで手に入れていた私たちは、遅刻しないように少し早めにバス停へ向かった(濃飛バスとの共同運行)。乗り心地の良いバスに揺られ、約一時間の乗車で車窓から白川郷が見えてきた。

駐車場から見ると、橋を渡った川向こうに目指す村落がある。私たちは、まずシャトルバス(200円)で展望台に上り、白川郷の全景を眺めることにした。稲の緑が清清しい。村落と山の配置が、なんとなくマチュピチュに似ていると思ったので、それをだんなに言ったら首を傾げられた(笑)。この景色が気に入ったので、五平もちを食べながら、しばしまったり。風景を十分に堪能した後、坂道をゆっくり降りていった。
下まで降りて、最初に見えてきた建物に入ってみる。中では、おばさんが一人で機を織り、その作品を売っていた。外の暑さに比べ、中はひんやりとした風が通りなんとも涼しい。
続いて、重要文化財の和田家を拝観する。合掌造りは二層〜四層に分かれており、養蚕の作業場として屋根裏を有効活用してきた。1階の軸部と上階は違う構造になっており、強風などの強い力が屋根にかかっても、軸部に負担がかからないようにできている。1階部分は大工に任せ、2階以上は村人たちが一丸となって建てていたらしい。柱は釘を使わず、マンサクと呼ばれる生木でしっかりと結ばれている。これが乾くと更にきつく結束され、頑丈になるのだそうだ。そうしたことを頭に入れて、内部をゆっくり見て周った。
それにしても、どっしりした合掌造りに、コスモスなどの愛らしい花々が本当に映える。住民の町づくりへの意識の高さを感じさせる。

徐々に、人通りの多い中心部に近づいてきた。ここで、休憩を兼ねて昼食を取る事にした。大分疲れていたので、ちょっと豪勢に飛騨牛の朴葉味噌焼き定食を注文する。これが美味しかったー。ニコニコしながら完食し、待っている人が増えてきたので早々に外へ出た。

さて次は、もう一つの重要文化財、明善寺を目指す。合掌造りできた寺というところが珍しい。内部は写真撮影禁止だが、けっこう豪華だった。

途中、地酒など買いながら、角から角まで歩き通す。帰り道、川に降り、水に手や足をつけて涼んでみた。冷たくて気持ちいい。あー、しかし疲れたなー。その後、橋のたもとまで戻り、売店でビールを買い、二人で乾杯した。あー、疲れた。

つり橋を渡り駐車場まで戻った後、野外博物館に行って見たが、なんとなく入る気にならずウロウロする。時間はまだあるので、私が「そういえば地ビールが飲みたいとか言ってなかった?」と聞いてしまったのが、まずかった(苦笑)。実際探してみると、なかなかないのである。店の人に聞いてみたら、白川郷の地ビールというのはないが、飛騨高山の地ビールなら村落の方にある酒店にあるかもしれないと言う。仕方ないので、また釣り橋を渡って、そこまで行ってみた。その後は、この店先でずっとビールを飲みながら、コロッケ食べたりして過ごした。ビールはおいしかったけど、私はこの日が一番疲れた(苦笑)。バスに乗って金沢に戻り、ホテルの大浴場でゆっくり湯船に浸かった後は、初日同様、コンビニで買ったもので夕食を済ませたのだった。


●金沢最終日 '05年9月19日(月)

旅行最後のこの日は、日本海側の大野、金石方面をチョイス。六枚町近くにあるバス停から、からくり記念館へ向かった。一つ手前の大野が終点だったが、Uターン場所がもう少し記念館に近い場所だと言うので、特別にそこまで乗せてもらう。5分くらい歩くと、モダンな建物が見えてきた。幕末の科学技術者、大野弁吉の世界を伝えるべくつくられた記念館で、様々なからくり道具、そしておもちゃが展示されている。おもちゃは手にとって遊ぶことができるので、一つ一つやっていったら、一日では足りないかもしれない(笑)。適当に選んでやってみたけど、完璧にできたのは一つだけだった・・・。程なく、からくり人形の実演をロビーで行う、というアナウンスが入ったので、行ってみた。初めて見るからくり人形は、思ったほど怖くない。運んでくれたお茶を受け取り、元の場所に湯のみを置くと、くるっと回って元来た道を静々と戻っていく。続いて、段差を一段一段降りていくからくり人形の実演。この大きさのものは、ここにしかないということだ。

からくり記念館を出てバス停まで戻ってみると、お昼の時間に近くなったので、向かいの寿司屋に入る。ここでまた、アルコールを摂取しつつ、おまかせにぎりを食べる。とても美味しく、古民家風の建物も素敵で、なかなか良いお店だった。ただ、相変わらず決して安くない(苦笑)。ところで、からくり記念館もそうだったが、ここでも、初日に人のいいママさんからもらった「観光パスポート」で割引が利いた。この後行く記念館や工芸館でも使えたので、この分厚い冊子は、かなり使い出があると思う。ただ、あのママさん以外にどこで手に入れられるかは、私にもわからない・・・。

食後、バスに乗って今度は銭五の館、そして銭屋五兵衛記年館へと向かう。北前船の海運業で富を築き、加賀百万石を支えた豪商だが、晩年は獄死するという、波乱万丈な人生を歩んだ人である。豪商というと、つい悪人面を思い浮かべてしまうが、実はなかなか自由闊達な人だったらしく、私服を肥やすというよりは、人の役に立つことを信条としていたようだ。からくり記念館の大野弁吉とも親交があり、悪友といった感じのエピソードは微笑ましい。ただ後に、人のためと信じて行った干拓事業でつまづき、財政を立て直すため密貿易を容認していた藩は、それを幕府に知れることを恐れて、銭五を投獄するのである。干拓事業で物議を醸すなんて、つい最近聞いたような・・・(苦笑)。記念館は凝ったつくりになっていて、結構楽しむことができた。北前船なんて教科書の中だけのことだったが、なかなか面白いものですな。

さて、バスで金沢駅まで戻った後、最後の目的地である安江金箔工芸館へ向かう。歴史に名前を残さない金箔職人の、技術や誇りを後世の残したいという願いから、昭和の時代、金沢で一、二といわれた金箔打ち立て師、安江孝明氏によって建てられたものだという。一階は、金箔を作る工程が展示されているのだが、係の人の説明付きだった。金箔一枚を挟む紙は、昔は確か20〜30回使いまわしたそうで、そのお古が油とり紙だったなんて、全然知らなかった。ちなみに、今は違う品種の紙(カーボン?)を使い、使いまわしはしていないとのこと。そして、今や金より工賃の方が高くつくらしい(苦笑)。

説明が一通り終わると、お茶とお菓子のサービスが付き、その後、金箔の形を整える実演をしてみせてくれる。なにやら至れり尽くせりである。それにしてもお茶が熱いっ。さっきの寿司屋もそうだったが、金沢ではこれが普通なんだろうか。喉頭がんになりそうだ。2階で金箔を使った美術品を見て周った後、油とり紙をおみやげに買い、ホテルまで荷物を取りに戻った。

最後は、駅構内のショッピングモール「金沢百番街」に入り、ドトールで一服した後、中田屋で栗金つば、売店で押し寿司を買う。こうやって書くと、結構盛りだくさんだった今回の旅は、こうして終わったのであった。


●エピローグ

日本の工芸品に対しあまり興味のなかった私だが、半ば無理やり見てみると(笑)やっぱりそれなりの感慨を持つことができる。日本の芸術品は、原料が安いものが多い。それが、宝石や、当時は貴重だった陶磁器を集めた外国の美術品とは違うところだ。せいぜい、金目なものといえば金ぐらいだけど、それも10円玉程度の量を、畳一枚分にまで叩きに叩いて金箔を作っていたのだし。職人の技術、何よりそれを重んじ、奨励してきた加賀藩は本当に素晴らしい。そしてまた、これは日本人特有の美的センスではないかとも思う。正倉院に大事に保管されている芸術品だって、原料はただみたいものばかりのようだし。こうした日本人の美意識を、私は今や愛してやまない。自分が不器用なだけにね・・・。

  























































































































































































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