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プロローグ
プラハ1
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クトナー・ホラ
プルゼニュ
エピローグ

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●プラハ2 '04年1月24日(土)

前日もこの日も、天気だけはすこぶる良い。ただ外が寒いことは、ホテルのだだっ広いレストランがなかなか暖まらないことでも分かる。ううう。朝食後、翌日借りる予定のレンタカー屋に、雪の予報が出ているため相談に行く。ところが見つからない。周りの店に聞いてもダメ。しょうがないので旧市庁舎まで戻り、インフォで場所を改めて確認する。この時期はスノータイヤを履かせているはずだとの情報を得て、予定通りに事を進めることにした。せっかくだから、もう一度天文時計を見ていく。毎正時には12使徒の人形が顔を出すのだが、右脇にいる骸骨が鐘を鳴らしているのが面白い。

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[][][][] 天文時計

さて、観光観光。昨日、中に入れなかったプラハ城へと向かう。聖ヴィート大聖堂内部は、鮮やかなステンドグラスに彩られていた。日の光を浴びて、柱や床にもそのカラフルな色を落としている。聖堂奥右手には、美しく飾られた聖ヤン・ネポムツキーのお墓がある。壁が、宝石の原石や金メッキのパッチワークで作られた礼拝堂も必見。外に出て、外観のモザイクも堪能した後、旧王宮へ。入ってすぐにある広間は、庶民の屋内マーケットとして開放されていたらしい。順路通りに見学し、聖イジー修道院や火薬塔も見て、次に国立美術館へ。ガイドブックに書かれた見所に注意しながら、見学する。途中、腰が痛くなったので叩いていたら、「いろんな作品を鑑賞すると、腰にクルわよねえ」と監視員のおばちゃんが話しかけてきた。チェコ語で。観たい作品を聞いてみる。身振り手振りから推測すると下の階にあるらしい。行ってみたら、その通りだった。 [][][]







[]ミュシャのステンドグラス

さて、マクドナルドで休憩した後、トラムに乗ってスメタナ博物館へ。チェコを代表する作曲家スメタナ(1824-84)は、交響詩組曲”わが祖国”の第2曲"モルダウ"で有名。その人生は華やかな時期もあったが、聴覚を失ってからは北部の村に隠遁し、最後は精神病院で狂死したという。この博物館には、楽譜や手紙類、彼の曲を初演した時のチラシ(ポスター?)等が展示されていた。ちなみにこの場所からは、カレル橋、ヴルタヴァ(モルダウ)川、プラハ城がセットになった景色を拝むことができる。息つく間もなく、トラムを乗り継ぎ、続いてはドヴォルザーク博物館へ向かった。最初、門が開いて看板も出てるのに、ドアが閉まっているのでがっかりしかけた。が、待っていたら係のおばさんがやってきて、鍵を開けてくれたのだった。 [][][]









[][]聖ヴィート教会内部

絶対あきらめて帰った人がいるよ。地面に残った雪に、ウロウロした足跡が残ってたもの。 ドヴォルザーク(1841-1904)は、モルダウ河畔の寒村に生まれ苦学してオルガン学校を卒業したが、徐々にその才能を認められ、ニューヨークの音楽院の院長に招かれたり、プラハ音楽院の院長を務めたりオーストリアの終身上院議員になるなど、スメタナと対照的に恵まれた晩年だったようだ。展示内容は、やはり楽譜や手紙、楽器など。面白いものでは、作曲料や、院長時代のお給料の領収書であろうか。さて、最後にミュシャ美術館へ(プラハカードは×)。聖ヴィート大聖堂のステンドグラスなどを手がけた、アール・ヌーヴォーの画家である。そのロマンティックな画風は、チェコの竹久夢二といったところか。悩んだ末に、ショップで一枚ポスターを買った。

はあ。疲れた。その後、何件かボヘミアングラスの店をはしごして、花瓶も購入。ガーネットも欲しかったけど、時間切れ。宝石は、ゆっくり選びたいしね。でも、まあまあ予定通り事が進んで満足だ。荷物を置きにホテルへ戻り、着替えて国立オペラ座へ。演目は、私の好きな歌が多い「トスカ」。
詳細はオペラのページへどうぞ。

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[][]国立オペラ座


●クトナー・ホラ '04年1月25日(日)

朝、目覚めると雪が降っていた。予報どおりで落胆。でもまあ、なんとかなるだろう。チェックアウトをして荷物を預け、地下鉄に乗ってレンタカー屋へ。車を借りて、プラハの東にある、旧市街が世界遺産に登録されたクトナー・ホラへ向けて出発した。楽しみだったのがコストニツェ。人骨教会である。ただ、町のどこにあるのかわからない。雪のため安全運転で2時間くらいかけ、無事に到着。駐車場の看板に大きな地図があったので、それで確認した。そこに一台車が突っ込んでて、お巡りさんなんかもいて、ちょっと躊躇したけどね。道路表示にも助けられ、迷わず行けた。ここは、1142年に設立されたセドレッツ修道院(シトー修道会)の墓地跡に建てられた礼拝堂で、19世紀に、それまでペスト大流行や戦さ等によって亡くなり、埋葬された約4万人の遺骨を使って、様々な装飾がほどこされたのである。特に、四隅にある鐘の形をしたものがすごかった。美しいのは、写真のシャンデリア。もうここまで人工的だと、オドロオドロしさはない。もちろん、こんな形で人骨を使うことは理解の域を超えているが、キリスト教はこうした骸骨寺が数多く存在するのである。むやみに怖がるのは不謹慎だろう。さて、次は聖バルバラ教会を訪れた。日本語の説明書を貸してもらって見学。木でできた長椅子や懺悔室のレリーフが素晴らしかった。銀鉱脈で栄えた町なので、フラーデク鉱山博物館にも行きたかったが、冬期はお休み。博物館近くのレストランで食事をして、旧市街を少し車で周った後、プルゼニュに向かったのだった。











[][]人骨シャンデリア









[][]聖バルバラ教会


●プルゼニュ '04年1月25日(日)

今度はプラハよりも西である。ただ、こちらはアウトバーンがあるので、時間はその分短縮できた。青空も見えてきて、ホッと一息。ここは、今や世界中で愛飲されているピルスナービール発祥の地である。私の目的は、ここのビール工場でビールを飲むことだった。だが、この期間併設のレストランは休業中。また、次に訪れたビール博物館は、まだ時間があるはずなのに閉館すると言われる。だんながちょっとクレームをつけたが、もう係の人が帰る気満々なのであきらめて、おススメのビアカフェを教えてもらう。本場でビールを飲みたかったんだから、それができれば満足なんである(私は)。カフェ"U Salzmannu"に入って休憩。しかし、 何度飲んでもチェコビールはうまいねー。幸せ。一服した後、少し散策。この街自体は工業地区だということで、街並みは期待してなかったが、どうしてどうして。なかなかステキであった。しかし、ここも地図なしで行ったんだよな。歴史地区には表示が出てはいるが、チェコ語だし、よく目的の場所を探し当てたものである。なんとかなるものだ。

夕暮れ迫る中、一路プラハへ。私のナビで、迷うことなくレンタカー屋まで戻ることができ、だんなに絶賛される。あんなに褒められたのは初めてだ。街中では、いつも途中でわからなくなってたからなあ。これからも精進しよう。ちょっと寄り道して、ファウストの家に周ってから車を返した。地下鉄の駅近くのスーパーが開いていたので、つまみとチェコビールを数本購入。その後、旧市庁舎近くのレストランで夕食をとろうとしたのだが、料理がなかなか来なかったので、キャンセルしてビール代だけ払って外に出た。それがちょっと残念だったなあ。急いでホテルへ預けた荷物を取りに行き、プラハ中央駅へ。無事、個室に入ったのは出発5分前であった。あぶなーい。

それにしても、今書いてて気がついたんだけど、私この日の内にビール500mlを3杯も飲んでいたのね。でも、そんなに飲んだ気はしなかったなあ。だんなは運転もあって、全部で私の半分しか飲んでない。悪いねえ。

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[][]ビール工場









[][]本場ピルスナービール









[][]プルゼニュの街並み


●エピローグ

今回は、都会だし、オペラがあるからちょっとお洒落に、なんて思っちゃって防寒対策を怠ったのが敗因である。本当に寒かった。二日目に、急遽買った帽子が大活躍。私たちが行った頃が一番寒かったようだが、甘く見ちゃいけませんな。それと、観光に重点を置いたため食事の時間がほとんど取れなかった。マクドナルドには、かなりお世話になりました。

後、気がついたことと言えば、妙に現代的なデザインの地下鉄には、"ここはスキー場か?"と思うほど、スキーウェア、もしくは、それモドキの格好をしている人が多かった。実際、近郊にクロスカントリーができるようなところがあるのかもしれない。いや。でも、ドライブ中、どう考えても散歩道だろう、てなところでやってる人たちもいたな。凍結した湖でスケートをしていた人たちの中には、アイスホッケーの格好してる人もいたし。ウィンタースポーツは、施設なんかなくても、そこら辺でできるもんなのかもしれない。なんか、すごい。



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